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10月6日

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安倍新自民党総裁に対する批判を再び強めている私ですが、その根本には、6〜7年ほど前にまとめて読んだ太平洋戦争関連の本などの総括として、

日本の敗戦の原因の一つに、「“戦争”という国際事件においても、日本は国内の空気(事情)ばかりを眺めながら戦っていた」

と、いう事情があると思えてならないからです。

 

「この国は、いったん走り出したら止められない」とは、故後藤田正晴氏の言葉ですが、かつての戦争中も

「ここで引いては、先に命を賭していった英霊たちに申し訳ない」などの言葉で、勝てないとわかってからも泥沼化してゆく戦局を

原爆を2発もらうまで止められなかった、という前例のあることは否めません。

ひとたび戦闘が始まったら、双方、憎しみの応酬が繰り返されることは《戦争のもつ悲劇の常識》だと思いますが、

それは戦いが拡大されればされるほど後戻りのできない“心理的応酬”になることは、少し考えれば誰にでも理解できるかと思います。

争うことによって生じた民衆の激情(特に大局を理解しない)というナショナリズムを煽って、自らの政治的立場を固めようとする輩が

政権の中枢に跋扈してしまうと、もはや憎しみの連鎖は止められなくなります。

 

しかし、火事も火の小さいうちは個人でも消火器で消せ、なにごともなかったように日常に戻ることができます。

しかし、いったん火が燃え広がってしまったら、元は小さな種火でも家を数軒焼き尽くすまで消防車でも止められなくなります。

 

さて日本は現在、引っ越すことの互いに不可能なご近所とのトラブルを、火が取り返しがつかなくなる前に消火する知恵が求められています。

この《国際的事件》を国内事情の空気を読んでそれに従うだけで処理することは不可能です。

中国の孫子に「窮冦には迫ることなかれ(相手を追い込むときにも、逃げ道を残しておくのが賢明)」という言葉があったと思います。

ここで理性的になって、互いの立場を理解する努力をし、自らの主張をただ強硬に繰り返すだけではなく、認めるところは認め、

火の小さいうちに鎮火してほしいものだ、と願っています。

 

この事態において、安倍晋三は反共精神の祖父岸信介を信望してはいても、他者の立場を理解する心の広さが認められないので、不適格です。

野田政権も、前原誠司を入閣させたのは、この時期の選択として不適切だったかもしれません。

彼もまた、自分と相容れない他者に対する許容度の狭い人間と思います。火消しには向きません。

 

前々回の絵日記で紹介させていただいた、浅井基文氏の10月1日のHPには、

中国側の提案として、日中関係を正常な軌道に戻すための提案が書かれています。

 

浅井氏の民主党への不信の強さは、私にとっては安倍自民党のほうがよほど危険だという思いで同意できませんが、

翻訳してくださった内容は、こうした見解の合意以外に、最適な火消しの方法はない、と思わせるものがあります。いかがでしょうか?

 

日本の政治は今でも軽く、国民の感情の流れるままに政策が流れていきます。多くの国民が現状打開への道を戦争を回避する知恵で模索する

意思があるならば、今のような軽い日本の政治家がどのように画策しようとも、平和な着地点に到達することはできると思います。

ただ、逆に言えば、偏狭な孤立を“美し”とする自己中心的な理屈に多くの国民がたどり着くなら、

その結果生じる孤立した日本が被る未来の現実を享受する準備を心身ともに忘れないようにしなければならない、と思います。

 

※この文章も、上手くまとまっていないので、今後書き換える可能性があります。あしからず。